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8段階のヨーガ(その7)

:ディヤーナ(静慮)

2020年12月21日

 いよいよ8段階のヨーガも、終着地点が見えてきました。いわゆる「瞑想」というときに、ヨーガでは通常、7段階目にあたるディヤーナを意味するようです。ディヤーナについては、6段階目として説明したダーラナーと対比しながら見ていくと、より明確になると思います。

ディヤーナは拡大である

 まず、ダーラナーの特徴は、一点に集中すること、意識を特定の対象にしっかりと固定することが特徴でした。これに対してディヤーナは、そこから意識を広げていきます。ダーラナーは集中、ディヤーナは拡大、と考えてもらうと良いかもしれません。とはいえここで注意したいことは、ディヤーナは拡大だけということではなく、むしろ、ダーラナーで得られた一点集中も意識して、心が揺らがないようにすることが大事です。

ディヤーナは全体である

 さらにディヤーナでは、対象の複雑さをそのまま捉えることになります。ダーラナーでは対象を単純化して、その一部分に集中しますが、ディヤーナでは複雑なものを複雑なままで、より全体として捉えるという事が言えます。そうすると、ダーラナーは部分、ディヤーナは全体、というように考えることもできます。

例として、「月」の全体への拡張

 具体例を見ていきましょう。ダーラナーのところで扱った「月」の例が良いでしょう。ダーラナーにおいては、まず月のイメージをしっかりもち、そこから揺らがないことが大事でした。それができたのであれば、月の大きさ、月の表面の様子、月の明るさ、月の重力、月までの距離、月の満ち欠けなどを対象にします。このとき、それぞれを関連させたり連想させたりせずに、個々をひとつのものとして集中することが大事でした。

 これに対してディヤーナでは、それらが連続的に想起されてくることになります。意識は最初の「月」のイメージに固定されながらも、同時に、その他の月の特徴に絶え間なく意識が流れ、思考が拡張していく感じです。それとともに、月の存在の複雑さが全体として、そのまま想起されてくるようになります。

心の揺らぎがないこと

 このときも、ダーラナーと同様に、心が浮き沈みしてしまっていはいけません。「月の明るさ」を想起しているときはウキウキと晴れやかとなり、続いて「月の満ち欠け」を想起しているときは心が沈んでしまうというようなことが無いように、心はあくまで静かで中立的、明瞭かつ清涼である必要があります。そうでないと、次々と想起されるものが、どんどん関係のないものになって、ますます心をかき乱してしまうかもしれません。

 例えば、月を思い浮かべていると、ロケットのイメージなって、今度はロケットがつくられる費用について考えはじめて、最後にはお金を儲けるにはどうした良いだろうなんて考え出すかもしれません。あるいは、月を思い浮かべていると、悲しい時に見上げた月に重なり、その時の感情がどんどん想起されて泣き出してしまうかもしれません。このような想起の仕方は、ディヤーナとは全く異なるものです。

心の状態を見定める

 ヨーガ・スートラを記した聖仙パタンジャリによれば、ディヤーナ(瞑想)は高度なヨーガであり、初心者が行うべきものではないとされています。それというのも、上述したように、心の揺らぎがある状態で行ったのであれば、それはむしろ心と身体に害を与えてしまう可能性があるからです。

 心の状態には、次のような5つがあるとされています。

   クシプタ(落ち着かない心)

   ムーダ(惑わされた心)

   ヴィクシプタ(散漫な心)

   エーカークラ(一点集中)

   ニローダ(止滅)

 通常、ヨーガをはじめる人は、3番目のヴィクシプタの状態にあり、心があっちに行ったりこっちに行ったりしています。クシプタやムーダの状態は、いずれも欲望に駆り立てられている状態です。この5つの心の状態については、回を改めて説明したいと思います。いずれにしても、ディヤーナを行う人は、心がエーカークラ(一点集中)やニローダ(止滅)の状態である必要があるのです。

最終段階への導き

 ダーラナー(部分への集中)とディヤーナ(全体への拡大)に熟達すると、対象の本質が現れてくると言われています。それはつまり、心のフィルターがはずれ、対象をそのまま直接に体験できるようになるということです。その状態が8段階のヨーガの最終段階、サマディということになります。