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8段階のヨーガ(その2)

:勧戒(2)知足と苦行

2020年2月3日

(2)知足(サントーシャ)

 引き続き、勧戒の2つ目と3つ目について解説していきたいと思います。

 「知足(サントーシャ)」は、字をそのまま解釈すれば、「足るを知る」ということになります。今の自分そのままに満足するということです。では、「じゃぁ、何もしなくて今のままで良いじゃないか」ということになりそうですが、ここで気をつけるべきは、この知足(サントーシャ)が、清浄(シャウチャ)の後に位置付けられていることです。つまり、清浄であることを前提として、そのような自分自身に幸福を見出すのです。そのため、身体や心が汚れた状態で、「やっぱりこのままで良いよね!」というわけではないんですね。

 

 何回か前の記事で書いたように、ヨーガの8支則のひとつめ、禁戒(ヤーマ)に、不貧(アパリグラハ)というものがあります。これは、貪欲をおこさない、他のものを過剰に欲しないということを意味するものでした。知足と似ているような気がしますね。しかし、禁戒はどちらかと言えば自分の外側との関係についての教えであり、外部の刺激に惑わされず、同時にそのような刺激を欲しないことが重要になります。他方で、知足は勧戒(ニヤマ)に属し、どちらかといえば自分自身の内側の話になります。そのため、外部の刺激との付き合い方というよりも、自分のなか、自分自身の内側の素晴らしさを感じることが重要です。

 

 とはいえ、私たちの内側の素晴らしさを「感じる」には、どうしたら良いのでしょうか。その方法が、アーサナ、呼吸法、感覚の制御、内観、そして瞑想というヨーガの一連の技法です。もちろん、その前提として、自分自身を清浄に保つことを常日頃から気づかうこともまたヨーガです。そのようにして、私たちの内側から溢れてくる幸福感を感じることができるようになると、それが知足へとつながるのです。

(3)苦行(タパス)

 苦行と言うと、なんだか苦しい修行のようなものを想像する人もいるかもしれません。火の上を歩いたり、薔薇の蔓の上に座ったり、雪の中で裸でいたりと…、想像もしたくないですよね。そのような苦行も、古典ヨーガが体系化されるよりも昔には行われていたようです。

 しかしながらここで言う苦行とは、どんな時でもヨーガを続けましょうという教えです。アーサナにしても、瞑想にしても、なんとなく調子が良いときと悪い時があります。さらにいえば、今日はなんだかやる気が起きないという時もあると思います。それでも、一歩一歩、毎日行うことが重要なのです。

 さらに、ヨーガが深まってくると、これまで気づくことがなかった自分の悪い面が次々と見えてきてしまうということがあります。でもそれは、後退しているのではなく、そうした悪い面を浄化するうえで必要なことであり、大きな前進なのです。それまで感覚が麻痺して気づくことがなかった自分に気づき、本当の自分を取り戻すための道のりであると言えます。むしろ、そのようにして弱い自分、まだまだ未熟な自分に向き合えている今の自分が、ヨーガによってつくられてきたこと、そのことに感謝できると良いですね。

 そうは言っても、その時々のタイミングや環境によって、ヨーガを行うことができないということもあるかもしれません。旅行先だからとか、仕事でいつもより遅くなってしまったからというような状況です。前者は場所や空間、後者は時間の違いでヨーガをしないということになります。しかしながら、苦行(タパス)の考え方からすれば、それでも、ヨーガをし続けるということが重要です。

 

 同様に、今日は食べすぎちゃって体調が悪いから、あるいは、寝不足で集中できないから、疲れ過ぎちゃってということもありますよね。この場合は、なぜ食べ過ぎてしまったのか、寝不足になってしまうのか、なぜそんなに疲れているのか、その理由から考える必要があります。欲望に身を任せて不貧や清浄の教えを守っていないからではないか、ストレスのせい?人間関係のせいかもしれません。

 

 いずれにしても、ヨーガを為し続けるということは、日常を整えていくということも同時に意味しているのです。これまでみてきたように、古典ヨーガでは、日常もまたヨーガなのです。さらに、心身共に清浄(シャウチャ)でいることは、ヨーガを継続する、すなわち苦行(タパス)を行う助けになるとも言えるのです。