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8段階のヨーガ(その1)

:禁戒(2)不盗・禁欲・不貧

2020年1月21日

(3)アステヤ(不盗)

 物、金銭、財産を盗まない、これはまさに読んで字の如くですが、私たちは気づかないうちに様々なものを盗んでしまっています。代表的なものが「時間」です。待ち合わせに遅れて誰かを待たせてしまったり、急いでいる人をいつまでも自分の話につきあわせてしまったり、そのような状況は、誰かの時間を自分の時間として使ってしまっている状況といえます。

 

 他にも、子どもにたいして虐待をしてしまうような行動は、その子の未来を奪うことになります。自然環境破壊なども同様です。未来の世代の可能性を奪って、今が良ければそれで良いという態度が自然環境破壊をうむし、その瞬間の反応として子どもに強くあたってしまうのです。最近ニュースにもなっているブラック企業やブラックバイトなどは、働く人の時間と能力を不当に奪っているといえます。

 

 私たちは気づかないうちに、誰かからいろいろなものを盗んでしまっているのかもしれません。

(4)ブラフマチャリヤ(禁欲・梵行)

 ここで禁欲とは、特に性欲のコントロールを意味します。性欲については様々な宗教がどのように対応しようかと、頭を悩ませてきた問題のひとつです。仏教は、『律蔵』という性に関しての規律書のようなものをつくり、事細かに、このようなことをした場合は破門だとか、じゅうぶん反省せよとか言い渡しています。かつての修行僧がいかに性欲と格闘してきたかがわかる内容です。

 

 一方、ヨーガでは、性欲がダメというよりは、性欲の方向にエネルギーを使ってしまうと、ヨーガによって蓄えられたエネルギーを失ってしまいますよという教えのような側面があるように思います。昔のヨーガのお師匠様のなかには、複数の女性を妻としていた人もいました。しかしながらより問題となったできごとが、300年ほど前のインドのある地方でのお話に登場します。

 

 その時代、ハタヨガが登場することで一部のヨーガから戒律や倫理が失われ、アーサナ(ポーズ)、ムドラー(印)、さらには呪術的な要素が追求されるようになりました。ヨーガ行者はそのような呪術によって女性を好きなように操ることがあったそうです。そのため、「ヨーギ」(ヨガを行う人)という呼称は、そのまま「悪い人」を意味するまでになりました。女性はヨーギからの呪術から自分を守るために、額(チャクラ)に赤い印をつけるようになったとのことです。

 

 ヨーガが禁戒や勧戒を重視しなくなると、社会的な混乱を生むまでになることがあり得るということがわかると思います。

(5)アパリグラハ(不貪)

 必要以上に欲しがらないこと、貪欲を起こさないことを不貧といいます。現代社会は私たちの欲望を次々と刺激して、あれも欲しい、これも欲しいという感覚を絶え間なく起こさせます。しかし、そのようにして手に入れたもののなかで、本当に必要なものはどれくらいあるでしょうか。私たちの身体は、本当はどんな、どれくらいの食べ物を必要としているのでしょうか。現代社会は多くの食に溢れていますよね。

 

 必要な服の数、必要な交通手段なんかと比べると、必要な食べ物は数値化されやすいようにも思えます。成人女性なら1日に何キロカロリー、緑黄色野菜の量、1日三食、できればマルチビタミンやαリポ酸をとったり、プテロスチルベンで抗酸化作用を促したりなどなど。でも実は、食もその時々の社会的な影響をうけ良し悪しが論じられます。さらに文化的にも違いがあります。卵のコレステロールは良いのか悪いのか、牛乳、小麦、牛肉はどうか。1日2食のほうが良いとか、週末はプチ断食したほうが良いとか。

 

 このように見ていくと、自分に何がどれくらい必要なのかを判断するということはとても難しいもののように思えてきます。ではどうすれば良いのでしょうか。自分の身体、心が本当はどれくらいのもので充足されるのか、それを感じてみることが必要です。そうはいっても、やはり簡単なことではありません。

 

 私たちが生きる社会は、さまざま刺激に満ちていて、私たちにもっと欲しいと思わせる仕組みに満ちています。そのため、いちどそのような刺激の数々から私たちの身体や心を引き離すことができた後に、ようやく自分の身体や心の声に気づくことができるようになります。この「引き離す」という行為は、後で解説する「制感」(アパリグラハ)というヨーガの実践によって可能となります。ここでみてきたヨーガの教えは、その後のヨーガの実践によって補強され得るものなのです。